学校に行きたくない。いじめられているわけでもないし、友達がいないわけでもない。勉強が嫌いなわけでもない。
朝になるとなんとなくしんどい、気持ちが苦しくなる。「なぜ行きたくないのか」その理由が自分でもわからないまま、1人で何度も検索して疲れていませんか?
大人に理由がうまく説明できないと、自分はただ甘えているのかな、と罪悪感を抱いてしまうかもしれません。
しかし、理由がわからない息苦しさは、学校という空間やシステムそのものから来ていることがあります。
この記事では、私自身も全く同じように悩み、「学校は鳥かごだ」と気づいた体験をもとに、
誰も話してくれない学校の構造と、我慢すると反動で心に負担がかかる感覚を言葉にしました。
学校という環境そのものが合わない。そんな誰も話さない視点を、今日から持ってみませんか?
目次
学校に行きたくない「理由がわからない・疲れた」と感じるのはなぜ?
説明できない感覚ほど、人を深く苦しめる
理由がわからないまま苦しいことは、決して珍しいことではありません。むしろ人は、理由がある苦しさよりも、「説明できない違和感」の方が深く苦しむことがあります。
私も、「学校へ行きたくない理由」が本気で分からず、ずっと探し続けていました。
学校に行きたくなくて、ポエムなどで自分の気持ちを代弁しているものを探したこともあります。
そんな当時のリアルな記憶を思い出し、概念のエッセイに仕上げました。
学校は鳥籠だ──
わたしは何かに気がついてしまった。
学校って、一体何の意味があるんだろう。誰も答えをくれないから、中学生の頃わたしは1人で一生懸命考えていました。
そんなことを毎日思っている中で、鳥かごの中にいる自分に絶望感と無力さでいっぱいで、でもどうにもできないから、その感情の抑圧で無気力になり、あー、まじでこの世のシステムっておかしいなーと思ってて。
学校が「鳥かご」のように息苦しいと感じる理由
知恵袋の「対処法」では上手く救われなかった過去
ネットで検索すると、「学校へ行くための方法」や「学校へ行けないときの対処法」はたくさん見つかります。
でも私は、学校へ行く方法ではなく、学校が苦しい理由を知りたかったのです。
その答えが、どこにも見つかりませんでした。代弁してくれる大人も、誰も見つかりませんでした。
当時、鳥かごみたいだよねとか、そんなことを言ってる友達は1人もいなくて私しか見当たらず、とても苦しかったし、肩身の狭い思いをしました。
当時は平成でしたが、まだまだ終身雇用が当たり前とされている時代。学校の意味なんか考えたらご法度で、暗黙のルールが沢山ありました。
てか、そんな概念さえ論外で、疑問さえ誰も抱かない。
大人になりそんなことすっかりと忘れていたのですが、友人が鳥かごの話を覚えてて私に言ってくれました。
信頼できる友達にポロッと漏らした本音。当時の辛さをより実感できました。
同じ学校でも「楽しい人」と「苦しい人」に分かれる構造
友人は学校をめちゃくちゃ楽しめるタイプ。クラスの人気者で、中心にいて。わたし学生めっちゃ向いてたー!まじ学生が天職っ!!とか言うタイプ。
そう、学校は楽しめる人も、わたしのように地獄の牢屋に感じる人もいる。
同じ環境なのに、なぜだろうか。
「これが当たり前だから。」
こんなヤワな言葉で、私は一度も救われたことがない。
なんであんな人混みのボックスの中に詰め込まれなきゃいけないんだ?人間なのにボックスの中って、一体どうなのだろう。
いじめも増え、環境的に追い詰めやすい。やる側からすれば、快楽でしかない。カゴにいるんだから、居心地は悪い。
似たような感性の子がいないかなと探して偶然目にした中学生の相談文に、ほぼ同じ感覚と同じ違和感が綴られていました。
「学校という空間をどう感じるか」という点で共通点が多く、わたしとの違いとしては、学生がカゴの中にいて、先生は外側で支配しているように感じた。というところでした。
私は学校の校舎自体をカゴとして、全員がカゴの中に押し込まれていて狭い空間の中に閉じ込められている、という感覚でした。
学校は、一人ひとりに同じように作用する場所ではありません。
同じ環境でも、「安心できる場所」になる人もいれば、「鳥かご」のように感じる人もいます。
理由のない苦しさを感じたとき、私が空を見て救われた理由
そんな私は、いつも空を見てました。空を見ると救われるんです。毎日のように、見上げてはきれいな空に救われました。
広々とした開放的な空を見ると、学校の小ささや狭さ、人間の愚かさや、大人が何も私のことを見てくれない感覚、執着と嫉妬心が溶けていくのが救いになり、心がホッとする安心感がありました。
感情が浄化されて今でも救われるし、ちっぽけな学校を飛び出て、広い空のようにおだやかな気持ちに包まれて生きていきたいと、そんなことを連想しては、ひたすら願っていたように思います。
学校が苦しいのは甘えではない|我慢が反動を生む仕組み
我慢し続けて、感情と行動の反動は大きくなる
学校とは何のために行くのか?
もちろん、大人になる準備として行く必要はあるかと思います。
電車の乗り方とか、行く前の準備など、当たり前のことができないまま育つのは、結局自分が苦労することになるので、やるに越したことはないと思います。
結局自分に跳ね返ってくるので、この世に生きる限り、覚えておくことは出てきます。
ただ、不必要に怒鳴り散らす先生、謎の規則や校則やルール、勉強が評価基準、全員一緒が好ましい、そんなルールに本当に本当に嫌気がさして混乱していました。
カゴに入れられると、抑圧させられたような気がして、逆に暴れ散らかしたくなる。
校則が厳しいから、我慢させられてるような気がして、逆張りで髪を染めたくなったり派手にしたくなる。
そもそもカゴがなければ暴れもしないので、自分らしい個性の出し方で、変な天邪鬼も起きないかもしれない。
校則があることで、逆に反抗期を生み出してるケース、中にはあるんじゃないかな?
どうせ厳しくしたってもうそれは結局個性の問題。たまたま校則に合う気質ならいいけど、合わない場合どうするんだ。
我慢、我慢、我慢って。
誰かにとって都合がいいから、誰かにとって破られると困るから、誰かにとっては怒られるから、誰かにとっては迷惑だから、人は我慢させたがる。
自分らしい服装やメイクができれば、そもそも我慢もしないから、生き生きできて楽しく学校も行けたのかもしれない。
我慢や抑圧が増すほどに、反動も増える。
我慢するから反動があり、そもそも我慢がなければ反動もない。
そしたら変に暴れたり、爆発することもないのかもしれない。
わたしの原点となる概念エッセイ、数年前に書いたものをもう一度引っ張り出してみました。
学校に行きたくない理由がわからないあなたへ|まとめ
理由がわからない苦しさは、言葉になっていないだけかもしれません。
こうした「言葉にならなかった違和感」など、感覚的なことを整理するセッションをしています。
まずは、こんな内容もセッションでできますか?などのご相談も受け付けているので、以下よりお問い合わせください。
順調に育った大人は、なかなか悩んでいる人の気持ちが分かりません。
無視しているのではなく、見えにくいのです。私はそういう大人に相談して、逆に分かってもらえなくて沢山傷付いて、とても孤独になってしまいました。
あくまで私の話ですが、分かってもらえた、という感覚を得たことは一度もありませんでした。
だからこそ、分かってもらえなかった感覚や言葉にならなかった気持ちを言語化しています。
なので、私のように似た気持ちや経験をしてきた人。そして、その経験と向き合い、それを仕事にしている人に話を聞いてみてください。
今の大人と、今の中学生や高校生の時代は全く違います。
どうか、聞く人を間違えないで、自分の心や気持ちを守ってくださいね。
構造翻訳家Akane
本記事はnoteを元に加筆修正した記事です。
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